GEOGRAPHICAL HISTORY

京都らしさを謳歌しながら、
名声と格式を秘めた堺町二条に暮らす。

昔も今も、格別の由緒を誇る、
御所南エリアの最前列が舞台となる。
古都の中心地であり、宮廷文化を今に伝える「京都御所」。御所を抱く「京都御苑」に設けられた「外郭九門」の中でも、御苑の正門とされるのが堂々たる存在感を放つ「堺町御門」です。舞台となるのは、そこから南へ伸びる堺町通と、世界遺産「二条城」へと続く東西の二条通の交差点のすぐ南側。日々の暮らしが、歴史ある御門に連なる特別感や誇らしさを感じていただけます。
京都御苑
平安時代は「源氏物語」の舞台に、また「室町幕府」所縁の地ともなった、
足利尊氏邸跡地の由緒を継ぐエリアに。
平安遷都以来1200年の歴史に寄り添う御所南。その中でも本件は「京都御苑」の「堺町御門」から続く堺町通沿いの「杉屋町」に誕生。平安時代末期〜鎌倉時代の御所南周辺を描いた「花洛往古図」を参照すると、南に下がった所には紫式部の「源氏物語」の宮中のモデルとの説もある、藤原定方(ふじわらのさだかた)の邸宅「大西殿」が位置していたようです。また「杉屋町」界隈には、室町幕府初代将軍・足利尊氏の広大な邸宅「三条坊門第」があったとされ、本件界隈は「室町幕府」所縁の地だったとも言われています。
建設地〈発掘調査現場写真〉
かつては貴人の邸宅街であったことを偲ばせる、
遺構や遺物が発見された計画地。
本件の建築工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査では遺構の一部や遺物を確認。これらは、かつて現地付近に「大西殿」や「足利尊氏邸」をはじめ、「京都御所」所縁の貴族や武家のお屋敷などが多く集まっていたとされる、御所南エリアの比類なき格の高さを今に伝える証しの一つと言えるでしょう。
堺町通
豊臣秀吉による「天正の地割」
によりできた「堺町通」。
「堺町通」は京都市街地の南北の通りの一つ。江戸時代においてこの周辺は材木を扱う者が多く、その名残として現在も町名を残しています。現杉屋町は寛永一四年(一六三七)洛中絵図において「杉や丁」として見てとれます。
堺町通から堺町御門を望む
伝統的な町家が並び立ち、
趣きある風情を継ぐ「堺町通」界隈。
現在も「堺町通」界隈には特徴のある京格子や白壁を配した、古都の風情ある町家が軒を並べています。