平安時代から
千二百年以上にわたり、
日本の歴史・文化の
中心として歩み続ける京都。
その都市の真ん中へ。
先端と伝統が交差する
田の字エリアの中心部に
住まいを構える歓び。
航空写真
出典:国土地理院ウェブサイト
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京都は、東山、北山、西山の山々に囲まれ、鴨川や桂川などが流れる京都盆地を中心に市街地を形成しています。時代とともに都市はその姿を変えてきましたが、緑豊かな山並みの風景、清流の風景は今も変わらず人々を魅了します。
四条烏丸交差点(徒歩5分・約380m)
四条通と烏丸通が交わる四条烏丸の交差点を中心として、御池通、五条通、河原町通、堀川通に囲まれたエリアは「田の字エリア」と呼ばれ、京都のビジネス・商業・観光・生活の中心となるエリアを形成しています。またエリア内では、京都らしい都市景観の保全を目的にさまざまな制限が設けられています。計画地は、田の字エリアの中心部、中京区新町通四条上ル小結棚町に位置します。
平安京は、794年に造営され、都を南北に貫く朱雀大路を中心に、右京と左京で構成されていました。やがて左京の都市化が進み、二条通を境として「上京(上の京)」と「下京(下の京)」が形成されていきます。「応仁の乱(1467~77年)」後、上京と下京が中心となり新たなまちづくりが進められます。16世紀中頃には「町組」が結成され、町衆が団結してまちの発展に取り組みます。四条新町には幕府の高札場が置かれ、下京の中核と認識されていました。界隈は、京都の商工業・金融活動の中心地として江戸期に入っても発展を続けます。京の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷、三井高利が開いた三井両替店も新町通にありました。
洛中洛外図屏風(国立歴史民俗博物館所蔵)
祗園祭は、平安時代前期の869年、京をはじめ各地に疫病が流行した際、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て災厄の除去を祈ったのが始まりとされます。応仁の乱によって山鉾巡行は一時中断していましたが、1500年に町衆の手によって再興されました。新町通は祗園祭の山鉾町が並んでいることで知られ、計画地は放下鉾保存会の会所に隣接しています。
祗園祭に「放下鉾」を出す
放下鉾保存会の会所の建物は、
京都市登録有形文化財の建造物となっている。
※1.掲載の外観完成予想CGは、計画段階の図面を基に描いたものと、祗園祭時の周辺環境を撮影(2024年7月)したものを合成加工したもので実際とは異なります。また、今後の周辺環境の変化に伴い将来にわたって保証されるものではありません。なお、外観の細部・設備機器・配管及び電柱・架線・道路標識・周辺建物類等は一部省略又は簡略化しております。植栽は特定の季節の状況を表現したものではなく、竣工時には完成予想CG程度には成長しておりません。タイルや各種部材につきましては、実物と質感・色等の見え方が異なる場合があります。
※掲載の航空写真は、現地周辺を撮影(2025年2月)したものにCG処理を施したもので、実際とは異なります。また、隣接地建物等周辺環境は変わる可能性があり、将来に渡って保証されるものではありません。光の柱は本プロジェクトの位置を示すためのものであり、建物の高さや規模を示すものではありません。
※掲載の祗園祭関連の写真は、2024年7月に撮影したものです。
※掲載の環境写真は2025年4月に撮影したものです。
※掲載のモデルルーム写真は、リソシエマンションギャラリー内モデルルーム(Gタイプ)を撮影(2025年10月)したものです。また一部設計変更及び有償オプションを採用しています。家具・調度品等は販売価格には含まれません。詳しくは係員にお問合せください。
※徒歩分数表示については地図上の概測で80mを1分(端数切り上げ)として算出しています。
※掲載の情報は2025年6月時点のものであり、今後変更になる場合があります。